自殺について

2004年8月。初めてブログにシリアスな話題を書いた。学部生時代に学習塾でバイトをしていたんだが、そのときの教え子だった青年が、踏切で電車にはね飛ばされて亡くなる、という事故が起こった。目撃情報によると教え子は遮断機の下りた踏切の前で一旦止まったあと、再び発進して踏切内に入っていったらしい。

以下は、そのときに僕が書いたことだ。2004年8月15日に。

 

彼の両親は離婚していて,彼の中高時代,家の中はいつもメチャクチャに散らかっていた。彼の姉は、亡くなった弟が一番傷ついていたかもしれない、と言っていた。離婚の原因は知る由もないが、父親は再婚して神戸に住み、母親はひとりで暮らしている。家には姉が、母を絶対家に入れるなという父との約束のもとで、一人で暮らしていた。彼はいつもふてくされて、何もおもしろいことがない、と言っていた・・・

痛みに胸を貫かれる。しかしだからと言って、何かを批判したり誰かを責めたりしても仕方がなく、せいぜい自分はどう生きるかくらいしか考えられない。彼の死が実際に自殺だったとしても、「彼は不運だった」としか言いようがないんである。もちろん不運だったというのは家庭問題が複雑だったことではなく、「何も面白いことがなかった」ことだ。彼には、何もなかったのだ。尊敬できる人や人生の楽しみ方を身をもって示してくれる人との出会い、我を忘れる程の感動や興奮、そういった事が、彼には何も起こらなかったのだろう。

ふと,ハムレットの有名な一節を思い出す.「To be, or not to be: that is the question...」生か死か、それが問題だ・・・という例の場面である。続けて、ハムレットはこんな意味のことを言う。

「この世には辛く苦しい事ばかりだ。死ねば楽になれるのに、なぜ人は生に執着するのか。死とは要するに眠りに落ちるようなものではないか。それでも人が自ら死を選ばないのは、死から戻ってきた者がいないゆえに誰も死後のことが分からず、分からぬゆえに恐ろしいからだ。」

そんなハムレットに共感する人もいるかも知れない。しかし・・・

だけど僕が死にたくないのは、どう対処していいか分からなくなる程の歓喜や興奮や感動を、何度も経験しているからだ。車を飛ばして食べに行った北海道の寿司や讃岐のうどんや名古屋のひつまぶし、伊勢湾の朝日、日本海に沈む夕日、好きな人と日が昇るまで見続けた小樽の漁火・・・そういう瞬間を、僕はもう一度,いや、何度でも体験したい。死んでしまったら、二度とできない。だから絶対に死にたくない。

僕の幸運は、尊敬できる人物が身近に二人いたことだと思う。僕は父親から「情報を集めて状況を把握し、出来る事は全部やる。諦めるのはそれからでいい」ということを学んだ。そしてもう1人は僕の弟だけど、彼からは人生の楽しみ方を盗ませてもらった。これを認めるのは少し悔しいのだが、弟は僕の2倍は人生を楽しんでいるだろうし、彼のトークはどんなに少なく見積もっても僕の5倍は面白い。

彼らのお陰で、僕は今の人生を楽しむことが出来る。父は僕が15の時に死んだ。母の再婚は結構なのだが父方の遺族が母に賛成しないため、幼少の頃に僕が世話になった人々はもうバラバラである。愛犬も少し前に死んでしまった。要するに僕の実家はもはや家そのものが残っているだけで、僕にとって心の拠り所というか、帰るところがあるのかどうか、正直疑わしい状況である。しかしそういう境遇と、今を楽しめるかどうかというのは別の問題なのだ。

ジム・ロジャースという人がいる。彼は一国の予算を軽く上回る程のお金を動かせる投資家で、世界中をメルセデスのバイクで走り回りながら、通りがかった国で「この国は買い」と思ったらそこの主要企業に投資していく…という、とんでもなく楽しそうなコトをしている人である.その彼がインタビューで「あなたが人生で原則としていることは何ですか?」と聞かれて、こう答えた。

1.死なないこと

2.楽しむこと

3.世界を知ること

とてもシンプルで素敵なので、僕も採用させてもらっている。要するにパクッただけなんだけど。