寂しさと恋愛と。その2

 

前回と逆のケースを考えてみたい。それは「付き合ってないけど寂しくはない」というパターンだが・・・まずあり得ないだろうな。

しかしながら、「ヘタな人と付き合うよりも一人の方がマシ」という選択をしている人ならば、かなりいると思う。遠距離になってからもずっと続いてる人とかも。つまり、敢えて「寂しさに耐える・寂しさを受け容れる」という選択をしている人だ。こういう人たちと「寂しさに流される」という人達との間にはどんな違いがあるのだろうか。単純に個人の強さ・弱さの問題だろうか?また、遠距離でも続くってことはそれだけ二人の愛の絆が強いということで、敬意を表しておけばよいのだろうか?…何だか少し、説得力に欠ける気がする。もちろんそういう理由がある人もいるんだろうけど、多数派ではないよなあ、多分。

異性に対する魅力がないわけではないのに一人でいる人には、基本的にどのような背景があるのだろう。マズ何より、恐らくそのような人達にとっては「恋愛=コスト」だってことが言えるのかな。二人の異なる人間が共に時間を過ごすのはかなりのエネルギーを要する。自分の要求を相手に伝えなければならないし、同様に相手の要求は無視するわけにもいかない。「何も言わなくても分かり合える二人」なんてのは殆ど幻想に近い奇跡だと言っていいと思う。

いやしかし、そもそも恋愛にはエネルギーが要る、というのは当たり前か。ということは要するに、「魅力があるのに一人でいる人」には、「とりあえず誰かが傍にいる」ことよりも大切な何かがあって、ソレをおろそかにしてまで恋愛にエネルギーを費やしたくない、ということなのか?まあそこまで極端ではないにしても、少なくとも遣り甲斐のある仕事とか、「それをやってる間は毎日の嫌なことを全て忘れられる」というような趣味(もうちょっと他に言い方ないかなー。要するに全力で打ち込みたい何かとか、スゲー楽しい何か)がある人は、一人でいることの寂しさに身を切られる思いをする必要がない、ということくらいは言っても良さそうだ。ならば遠恋も、二人がそういうものを持っているならば比較的少ない苦労で続けられる、ということになるのか。

 

この続きはまた次回にしよう。ところで昨日から気になり出したんだけど、そもそも「寂しさ」って何なのだろう?

 

・・・続きはまた来週。