比べるということ

自分らしさに拘ろうとする人ほど他人を知らない。自分も随分長い間そういう時期があったので、気持ちはよく分かるのだが。

人はよく、自分と他人とを比較して苦悩する。自分に欠けているものを持った人に出会うと、その人の資質を羨み、妬み、素直に賞賛することのできない自分を醜いと感じる。逆に自分より何かができない人に出会うと、心の中でその人を軽蔑し、優越感に浸り、そしてそのような自分を醜いと感じる。他人なんか関係なく、ありのままの自分に自信を持てる人間になりたいと願う…。

だが、他人と自分を比べるというのは、そんなに良くないことなのだろうか。

僕に目から鱗を落とさせた言葉として、こんな例がある。

 

白人は黒人を見て初めて、自分達が白人であることを知った。

 

人間は飽くまで他人と比較しなければ、自分を知ることができないのだ。何かができる人に出会ったとき、自分はそれができないと知ることができる。何かができない人に出会えば、自分はそれができるらしい、と知ることができる。結局、多くの他人を知って自分を相対化できる人ほど、安定した自画像を持っている。なぜなら、そういう人は自分の限界を知ると同時に、他人の限界にも気が付くからである。

何でも1人でできる人間などいない。寧ろできることよりできないことの方が多くて当たり前なのが人間である。自分にはできて当然、大したことではないと思っているようなことでも、どんなに努力してもそれができない人はいる。逆に他人が当然の如くやってるようなものを、自分ができないからと言って気にする必要があるだろうか。

僕は尊敬される人間にはなりたくない。信用される人間になりたい。できないことは他人に任せ、自分ができることは責任を持って実行する。そんな人間とは、きっと、一緒に居て居心地がいいと思う。

塩野七生の本に、こんな言葉がある。

 

自らが凡人であることを悟った者は、既に凡人ではない。

 

僕がなりたいと思うのは、こういう非凡なる凡人だ。