幸福考1

「幸福」「幸せ」といった言葉はかなり曖昧なもので、例えば美味しいものを食べたり奇麗なものを見たりしたときに「こういう時に幸せを感じるよね」と言うときの幸せと、「色々あったが、それでも私の人生は幸せだった」と言うときの幸せとは全くレベルが違ってしまう。

また、「幸福は、何気ない日常のなかでふと感じるもの」とはよく言われることだが、少なくとも僕にとっては、それだけでは不足である。もし幸福と呼ぶべきものがそれ以外にないとしたら、「幸福になろう」という努力が意味をなさなくなるからだ。だが実際には、努力によって獲得できる幸福は存在するし、「幸福な人生」なるものを送ることだって不可能ではないはずだ。

とりあえず今回は、少し長いがラッセルの自伝的な文章を引用しておく。続きはまた次回。

私は、幸福のもとに生まれなかった。4歳までに私の両親は世を去った。子供の頃、私のお気に入りの賛美歌は、「この世に倦み、罪を背負いて」であった。5歳のとき私は、もし70歳まで生きるとすればまだ生涯の14分の1耐え忍んだにすぎない、ということを繰り返し考え、この先続く長い退屈は、ほとんど耐えがたいものに思われた。思春期には私は人生を憎み、たえず自殺寸前の状態にいたが、もっと数学について知りたいという欲望から、なんとか自殺を思いとどまった。

今では、反対に、私は人生を楽しんでいる。歳をとるにつれて、ますます人生を楽しんでいる、と言ってもよいくらいである。これは一部には、自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見し、それらを少しずつ手に入れてきたことによる。また一部は、望んでいるもののいくつかを、原理的に獲得不可能なものとして上手に退けてしまったことによる。しかし大部分は、自分自身に捉われなくなったためである。

多くの若者たちと同様、私も自分の罪、愚かさ、短所について思いをめぐらす習慣があった。私は、あわれな人間の見本のように思われた。

次第に私は、自分自身と自分の欠点に無関心になることを学んだ。そして徐々に注意を外界の事物に集中するようになった。たとえば世界の状況、様々な分野に関する知識、私が愛情を感じた人たちなどである。外界に対する種々の関心は、確かに苦しみの種になる可能性はある。世界は戦争に突入するかもしれないし、ある方面の知識はなかなか理解できないかもしれないし、友人は死ぬかもしれない。しかし、こういった種類の苦しみは、自己嫌悪から湧き出てくる苦しみと違い、人生の本質部分を破壊することはない。そして、対外的興味・関心は、例外無く何らかの活動を刺激・促進し、またそれらの興味が消えないかぎり、倦怠を完全に予防してくれる。反対に、自分自身に対する興味は、進歩的な活動に導くことは決してないのである。