図々しさを身につけろ

先週、僕は他人の好意は快く受け入れ、かつ他人の抱く関心や喜びに役立つ機会を与えようという態度を持っていることが重要だと書いた。これは要するに他人との関係において「GIVETAKEのバランスが取れている」ということだ。

人はどうしてもGIVEは良いことで、TAKEが良くないことだと考えがちである。だが一方的なGIVE(法外に高価なお歳暮とか)は、相手の中に「すまない・申し訳ない」という罪悪感を引き起こしてしまったりする。それは物に限らず、精神的な場合でも同じことだ。AとBの二者関係において、A⇒BのGIVEがB⇒Aのそれより明らかに大きい場合、BはAに対して畏敬の念を抱くかも知れないが、同時にAと過ごす時間が居心地の悪いものになることもあるだろう。最悪の場合、Bは自尊心を保てなくなってしまう。これは、明らかに幸福な人間関係ではない。

基本的に自己愛・自尊心が強くて完全主義的な人ほどGIVEに執着し、TAKEに罪深さを感じる。困った人を助けるのは当然だけれど、自分は人の助けなんか要らない、他人の迷惑にはならない…でもそんな生き方は、喩えいくら尊敬を集められたとしても、結局のところ身近な人に圧迫感を与えるだけである。なぜならばそれは、自分を他人より上位に置こうとする行為以外の何物でもないのだから。他人に自分と過ごす時間をリラックスして楽しんでもらえない人が、幸せになるのは難しい。

自己愛が内側に向かってしまうともっと悪い。一旦「自分には他人にGIVEできることが何もない」と思い込んでしまうと、他人からGIVEを受ければ受けるほど「何も返せない、何も出来ない、ああボクは何てダメなんだろう」という方向に意識が向かってしまう。こちらのケースでは上の場合とは逆に、他人と過ごす時間をリラックスして楽しむことが出来ない。同様に幸せは遥か彼方である。

GIVE=美徳、TAKE=悪徳という考え方は必ずしも正しくない。むしろ、相手のGIVEを素直に喜ぶTAKEは、GIVE側に少なからぬ満足感をもたらすことは、心に留めておいた方がいい。多くの人は大体小学校を卒業するまでに「自らを犠牲にして他人を助ける美談」を繰り返し聞かされたと思うが、その手の倫理や道徳観念からある程度自由になることを、僕は強く勧めたい。

「他人の幸せが、私の幸せです」

という態度は確かに立派だし尊敬するし素晴らしいと思うのだが、それを逆に考えれば自分の幸せだって、誰か他の人にとっての幸せになり得るってことだ。誰かが自分にGIVEしてくれた時は、彼()にとって自分はそれだけの価値があるのだ、と思ってTAKE「してあげる」くらいの図々しさは、あってもいいと思う。実際、相手が「ここはお返しをしておかないと気が済まない」と思っているときには、それを敢えて受け取って、相手の気を済まさせてあげた方が、理屈をこねて拒否するよりもよほど大事なことだったりするんである。

「相手のためを思って行動する」というのは、そういうことだ。単に、GIVEし続けることだけが、相手のためになるわけではないってことを、忘れてはいけないんである。