寂しさと恋愛と。その3

前回の到達点は、個人的に大切な何かを持っていて、そこに多くのエネルギーを費やしたい人は、「とりあえず…恋愛」に必要なエネルギーをセーブするのではないかということであった。もちろん、その逆までが真だというわけではないはずだが。

でもだからと言って、喩え自分が人生を賭ける程の何かを持っている人だって、やっぱり恋人が欲しいと思うことくらいはあるはずだ。だけど「傍に居てくれるなら、自分を好きでいてくれるなら、誰でもいい」ってわけにはいない。だから…だから!相手を選ぶ必要が出てくるのだな。

そういう人達は、楽にお互いを理解し合えるような人、認め合えるような人となら、恋愛してもいいと考えている、ということではないのだろうか。

ということは。そういう人ほど、好みのタイプがはっきりしてくるんじゃないかと思う。いくら外見が良くてもそれだけじゃダメ。どんなに優しくて思いやり精神に溢れてても、それだけじゃダメ、みたいな。恋愛に費やせるエネルギーが限られてるからこそ、人生観や価値観が似てるとか、自分の型にピッタリとハマる人(さすがに初めから相手のことが全部分かるわけじゃないので、少なくともそう感じられる人)じゃなきゃ、恋愛なんてする気になれない、と。そういう人達は多分、恐らく、もしかして…「この人じゃなきゃいけない」と、言うのではないかな。

ので、あらためて僕は「この人やないとあかん」思っていいらしい。正直な話、「とりあえず寂しさを埋める」ことと、「この人じゃなきゃいけない」ということの違いが今一つ分からないことに気づき、自分の恋愛観に疑問を持ってしまったのだ。もしもこの二つの違いが、僕の知人が言っていたように「『さびしいから・・・恋愛』と『この人じゃないと・・・恋愛』は、きっかけの違いでしかない」としたら、今好きな人を諦めて、とりあえず近くで付き合える人を探した方が人生設計として合理的なんでないかと。

だけど、色んなパターンや、友人・知人から聞いた話をもとにしつつ、三日三晩うんうん唸りながら考えて、ようやく僕の頭の中から自分の恋愛観を説明できる言葉が紡ぎ出されてきたわけであるが、それはまた次回。